人間は常に悩んでいます。仕事、金、家族、友人、健康、悩みのない人はいません。ところが“悩みを口に出せる人と出せない人がいます。私は出せないほうです。恥ずかしくて、自分の欠点や弱点をさらけ出すようで、なかなか他人には話せません。自分の中で解決策を探るために、悶々と悩んでいます。でも解決できるような悩みならはじめから悩みません。解決できないから悩むのです。じっとトンネルを抜けるのを待ちます。
トンネルの出口が見つかるのは3つの場合があります。1つめは、何かのラッキー(他力本願)で悩みが解決された時、2つめは自分の考え方が変わった時、3つめは違うもっと大きな悩みが新しく始まった時です。出口には至りませんが自分と同じ悩みを持った人を知った時、少し気が楽になります。
悩みが続いていると、心は憂鬱です。仕事にも身が入らないし、楽しんでいる時も心から楽しめません。何をしていても頭の中から悩みが離れないからです。不思議だなあと思うのは、誰でも悩みがあるはずなのに、その悩みを全く普段の生活から感じさせない人がいることです。その人はきっと、よほど大きな経験をしてきているのでしょうか?それとも根っからの楽天家なのでしょうか?鈍感力でしょうか?経験のない私は想像もできませんが、違うなにかがあるのでしょう。
悩みのなかで俗にいう“取り越し苦労”と言うやつがあります。身体についての悩みはこの手が少なくありません。多くの人は健康でありたいと思い、長生きしたいと思っています。しかし、ふと目にした健康に関するテレビ番組や友人の病気が突如自分を不安に陥れます。普段なら気にしない様な身体の痛みが、首のしこりが、..心配でたまらなくなります。完璧主義者はこのタイプに陥る危険があります。何事も完璧を目指す。仕事も身体もです。しかし身体は必ず老化していますので完璧なんか無理です。どっか壊れてきます。完璧な健康を求めず、程々で我慢しないとうつ病になってしまいます。一度不安になりだすと負の連鎖を生み益々心配になってしまいます。連鎖を断ち切るためには、いやなことは考えない、気を紛らわす、違うことに夢中になる、人に話す、あるいは、いろいろな欲を捨てることです。
「余分な心配はしない!」と意志を強く持たないと、誰もが病気を発見しながら生活するようになります。不安を解消するために病院へ行く、検査を受ける、異常がなかった。安心してああ良かったと思います。でもその翌月、今度は新たな病気の前兆を見つけます。一つが解消するとまた別の悩みを見つけます。そうなってしまうと何時も身体の事を不安に思いながらびくびくして暮らします。結局何事もなくて長寿をした時に思います。どうせ健康でいられたのならもっと、のびのびと生きておけばよかったと。
悩みが人を思慮深くする、悩みが人をやさしくする。と言う事実はあるでしょう。しかし、健康に関することは“悩み”と言うより“心配”の方が圧倒的に多いのが現実です。堂々巡りする心配から逃れる方法は、例えば、夢を持つことです。この年になったら夢なんか持てない、こんな病気になったら夢なんか持てないという人もいるかもしれません。でも自分は何のために生きているのだろうかと自問してみてください。きっと答えが見つかるはずです。単に生きるために生きているわけではありません。心配性の人は自分の健康を運命にゆだねる勇気があると気持ちが楽になって目的に向かって進めるかもしれません。